この書籍は組織論を学んだ先生から課題図書として推薦された本です。キャリアコンサルティングは組織に影響を与え、結果的に組織社会や社会にも影響をあたえますが、現代の組織社会は経済活動の枠組みの中にあります。その基本となる経済学の一面を理解するには大変参考になる内容です。経済学の本としても面白い内容ですが、このサイトの社会構成主義の部分でも触れているように、我々の社会生活を構成している経済というものが、具体的に書かれた著作の内容でなく、近代社会の成立中で学者を始めとしたいろいろな人々の語りの中で構成され、ディスコースとして成立してきたという面があることが良く理解できます。ボリュームのある本ですが、内容が面白く読みやすく翻訳がされているので、比較的にサクサクと読めます。
キャリアコンサルティングでは、観念としての固定化は避けるべきということを前提にしていますので、経済や経済学についても固定化せずに柔軟に捉えてゆきます。
下記は、
「スミス・マルクス・ケインズ:よみがえる危機の処方箋」
( ウルリケ・ヘルマン/[著] 鈴木 直/訳 みすず書房 2020年2月) より抜粋
アダム・スミス ━経済を発見した哲学者━
「国富論(諸国民の富)」(1776年)
基本的には自由貿易における「分業」を説いている。
あらゆる富の源泉は、労働者による労働に他ならない事をスミスは伝えようとした。
⇒重商主義批判=多くの金銀を保有している国が一番豊かである。
スミスは、エゴイズムを称賛する事もなかった。しかし、それが害を及ぼさない限りは、断罪することもなかった。
スミスの本来の目標は、仕事場に縛り付けられ、主人に搾取されている日雇い労働者や低層の徒弟職人を開放する事だった。
賃金がなければ、需要は生まれない。雇用主は従業員に十分な賃金を与える必要があるとした。
スミスは「夜警国家」を望んでいたのではなく、あらゆる階層の幸福に責任を持つ、もっと能動的な国家だった。
スミスが望んだのは、国家を食い物にする特権階級から国家を開放する事。企業に特権を与える事を否定した。
世界規模の自由貿易(国富論の最後の三分の一)を提唱。
⇒スミスはここで初めて、しかも一回だけ「見えざる手」という表現を使っている。
「企業は自分の利益だけを追求しているにも関わらず、見えざる手の働きによって外国に移転することなく、むしろ国内産業を振興するように行動する。」
(⇒見えざる手は価格の決定を説明している訳では無い。 1946年オスカー・ランダが市場機能と見えざる手を結び付ける。)
植民地における奴隷の開放
国家間の自由貿易がより有効に機能する為には、「諸国民(個々人の)の富」がより豊かでなければならない。
アダムスミスの発想は、マクロ経済学である。
デヴィッド・リカード ━スミスからマルクスへの橋渡し━
「比較生産費説」(⇒リカードの主著のわずか2%)
「利潤率の傾向的低下」⇒カール・マルクスに影響
☆彼らは、現代の資本主義は知らなかった。まだ多くの小企業が互いに競い合う正真正銘の市場経済のもとで生きていた。
カール・マルクス ━資本主義を分析した共産主義者━
プロレタリアートを発明したマルクス
「資本論━経済学批判」(1867年)━科学となった社会主義━
競争が行き着く先は、寡占・独占であることを示した。
マルクスによって、アダム・スミスから始まったいわゆる「古典派経済学」の理論系列が完成された。
フリードリッヒ・エンゲルス ━恐慌がどのように生じるかについて━
但し、「資本論」で予言されたように独占が進行したにも関わらず、また、度々恐慌も発生したが、労働者が想定されたような窮乏に向かう事はなかった。むしろ独占の進行と並行してより豊かになっていった。
新古典派 ━資本主義には無関心━
新古典派は、古典派を補完し、継続したものではない。
完璧なパラダイム転換を行い、純粋な交換経済を想定した。(ミクロ経済学)静学的な「均衡」を求めるようになった。
資本主義の推移(流動性)や社会的な緊張関係も視野から消し去った。数学的な均衡を目指した。
労働者も労働市場における商品として扱った。失業者が発生している間は、ゆえに賃金の切り下げが求められる。
しかし、恐慌により大量の失業者が発生したが、賃金の低下による市場効果によって解決されることはなかった。
主観的効用=限界効用(P218)
新古典派経済学は、成長を知らず、技術を知らず、巨大企業を知らず、利益も知らない。
ジョン・メイナード・ケインズ ━貨幣はどこに⁉━
「雇用、利子および貨幣の一般理論」(1936年) ━確実なのは不確実性だけ━
なぜ、大量の失業者が発生したのかの説明を試みた。(P308)⇒新古典派経済学批判
「私はとりわけ経済システムが全体としてどのように作用するのかを探求している。」
⇒経済全体の「一般的」法則を探求した。彼は、総需要と総投資を観察した。
「貨幣」は意味を持っているとした。⇒保管・保持しておくことが出来る機能
貯蓄は、利子率の結果でなく、将来に備えて行われるとした。=「流動性選好」
ケインズはひとつの新しい学問分野を創設した。それが、経済全体の「一般的」法則を探求する。いわゆるマクロ経済だ。
ケインズは、国家間の為替調整「バンコール体制」(通貨投機の規制)を提唱したが、
戦勝国アメリカのドルを基軸としたブレトンウッズ体制となった。⇒ドルと金の交換を保証する。
⇒そもそも無理があり、結局、ドルと金の交換を停止するニクソンショック(1971年)が起こった。
⇒固定相場制によるマルクや円の度々の切り上げ調整を経て⇒為替相場も最終的に自由化され、投機の対象となった。
新自由主義経済学
投機を理解できない新古典派は、すばやくケインズの理論を恐慌に対する理論として脇においやった。
「為替相場を自由な市場経済に任せれば<経済の奇跡>さえ起こるだろう」と主張した。
⇒金融市場の巨大化・投機マネーの増加と予想に反し深刻な不況とインフレが発生した。
参考:ミルトン・フリードマン「選択の自由」、マネタリズム
【読み終えて】
以上が、このサイトと関連した部分の抜粋ですが、価格や貨幣等のいろいろな概念について詳細に説明されていますので、是非に御一読をお勧めいたします。
安定した社会を実現するには、イノベーションと個人消費の源泉である労働分配率を増やすべきだと捉えていますが、これはもともとのアダム・スミスの主張している内容と一致していることになります。
グローバリズムは国際分業ですので、アダム・スミスの考えに従えば、諸国民の富を増やすことにより、それぞれの利益を増やすこととつながります。昨今のグローバリズムの反対の声は、自由競争の結果として独占が進んでゆく中で、過去は独占と並行して増進してきた労働者の生活水準の向上が、マルクスが予想したように現在は停滞してしまっている事に起因しているようにも思われます。
現代社会では、地球環境との共存というSDGsの課題と両立しながらの労働者の生活水準の向上が求められています。また、「諸国民の富」に立ち返ってそういうディスコースが成立してゆくことを期待したいと思います。
その解決のひとつの糸口として、ここでもジョン・レノンの言葉をあげておきます。
「ジョンやその他各国の指導者たちも含めて世の中を良くしてくれるだろうと期待をしてはいけない。
自分自身で良くしなければ、世の中なんて変わらないものだ。」
(補足)
「思慮深い資本主義」 (日経ビジネス2020.12.14号 コトラー流 新常態のマーケティング教室6 より)
資本主義が抱える14の欠陥(「資本主義に希望はある」ダイアモンド社 2015年より)
- 貧困解決策をほとんど提示しない
- 所得格差の増大を生み出す
- 数十億人に生活費を払えない
- 十分な雇用が生み出せない
- 企業活動の負担を企業に課さない
- 環境や天然資源を搾取する
- 景気循環と不安定な経済をもたらす
- 個人主義と自己利益を追求する
- 金融主導で経済を成長させる
- 国民の経済利益をなし崩しにする
- 転記的な利益を追う計画を好む
- 企業行動に規制が必要
- 国内総生産(GDP)だけを見がち
- 社会的価値と幸福を計算に含めない
フィリップ・コトラー (Philip Kotler) 教授は、人々が幸せで豊かに暮らすには何が必要かを考える中で、注目したのが「思慮深い資本主義」という米国の一部の起業家の啓蒙活動である。
思慮深い資本主義 (Conscious Capitalism) (直訳 意識的な(自覚的な)資本主義)は以下の4つの原理からなる
(「世界でいちばん大切にしたい会社」 米ホールフーズ・マーケットCEOジョンマッキー・ラジェンドラ・シソ―ディア著
翔泳社 2014年 (原著は2013年)より)
- すべての関係する人をやる気にさせる「より高次な目的」
- 顧客や従業員、流通業者、サプライヤー、地域、そして環境といった多くの「ステークホルダーの統合」
- そのステークホルダーすべてに奉仕しようとする「思慮深いリーダーシップ」
- 同じくすべてのステークホルダーの価値向上を目指す「思慮深い文化とマネジメント」
主張はシンプルで「人々が幸せで豊かに暮らすことこそが、企業活動の目的であるべきだ」
すべての企業が、この前提に厳密に沿って行動すれば、先に挙げた資本主義の14の欠点は劇的に改善することは間違いない。
「本来なら企業は、自分たちの活動によって生じる損害に責任を負うべき」
「企業活動においても、ほとんどの意思決定で環境への配慮を優先すべきと考えている。
一方、このホームページの1980年代の文章では、アダム・スミスを幾分否定的に扱っており、上記の認識とは全く異なった認識となっています。つまり、個人の認識がその時々の書物を含めた社会のディスコースに大きく影響をされていることを確認出来ます。また、上記のコトラー教授はシカゴ大学でミルトン・フリードマン教授から学んでいることも興味深い点です。
1970年代は、「自由」「平等」「博愛」や「労働者からの搾取の否定」「旧体制による既得権益の打倒」「打倒ブルジョワ主義」等の言葉が、団塊世代によって行われた当時の年長者や既存体制への反抗を象徴する権力闘争・学園紛争等の名残としてまだ残存していたように思います。新自由主義の声が大きくなるに連れて、また、団塊世代が社会の中枢を占めるにつれ、これらの言葉は小さくなっていったようです。