企業におけるキャリアコンサルティングを通じて「社会」への影響を考えるには、「企業と社会」への理解が大切になります。
その為には、「企業」の定義「社会」の定義「アメリカの産業化」「所有と経営の分離」「現代社会論」等の知識が役に立ちます。「企業と社会」問題の核心は、現代企業(巨大株式会社)と現代社会の不調和にあると言えます。
不調和における課題を明確にし、調和(統合)への道筋を探る。この課題こそが「企業と社会」問題の研究課題です。
「企業と社会」問題への研究の方法は、学際的アプローチ (Interdisciplinary Approach(右図))となります。
1)歴史学的アプローチ(史的アプローチ)
文明の成立から を人類の歴史と捉えて、「企業と社会」問題を歴史的事象として把握し、 何故、現代においてこの問題が発生したのかを検討します。
2)普遍的アプローチ(Universal Approach)、コンティンジェンシー・アプローチ (Contingency Approach)。
・普遍理論/一般理論 (universal Theory/General Theory)は、時代に関わらず変化しない普遍的アプローチから生み出されます。
時代を超え、地域を超えた「企業と社会」の普遍的関係を探求します。
(ex. C.I. Barnard "The Function of the Executive" 1938)
・コンティンジェンシー理論(Contingency Theory)(条件適合理論/状況適応理論)は、現代における環境に対する課題解決を探ります。
ある地域のある時代の「企業と社会」の関係を探求します。
3)システムズ・アプローチ (Systems Approach)
・システムとして、企業と社会を捉えます。
問題を解くためには何らかの前提が必要になります。
「企業と社会」問題の公準 (Postulate)
根源的な問いは;
「企業は社会の為に存在するのか?」
「社会は企業の為に存在するのか?」
という事になります。
※公準;ある理論的実践的な体系の基本的な前提として、措定せざるを得ない命題。公理( Axion)と同じく、証明不可能であるが、公理は自明であるのに対し、公準は仮定的である。
図のように、「企業は社会の中に存在する。」ことから、「企業は社会の為に存在する。」ことになります。
(企業というシステムの外部環境システムが社会。社会の大きな構成要素として企業が存在する。)
但し、現代社会では「目的」と「手段」の置き換えの事象が多くありますが、《目標置換》が起こり、
⇒①「社会は企業が存続する為の環境である。」
⇒②「(極論だが)企業の為に社会(市場という言葉に置き換えてもよい)は存在する。」と 認知の変化が起こります。
☛また、①②は、経営戦略論の基本的な考え方でもあります。
上記から、社会の実態(realities)において、企業がいかなる機能(順機能/逆機能)を果たしているのかという事が問題になります。
Ⅰ.J.K.ガルブレイズ (John Kenneth Galbraith)の「新しい産業国家」 (The Industrial State)
■新古典派経済学 (Neoclassical economics)への批判 ⇒ 制度学派経済学
J.K.Gbraithは、「新しい産業国家(The New Industrial State)」(新古典派経済学批判の書)の中で次のように批判している。
<第3版の序文から>
「経済学者の中には、自分が若い時に押し込まれてきた事柄〈*〉をなんであれ、ためらいもなく絶対的な学識と信じている人達が相当数ある。彼らにとっては、じぶんがなれている考え方と相いれないものは何でも劣って見える。この傾向を危険なほどまでに助長しているのが、数学の利用、更には理論的モデルづくりの能力である」
⇒経済学の教科書で学んだ以外は認めまいという態度
「・・・・・批判は・・・・より多く批判者自身について、ないしは、彼の知的活動の基礎となっているものの幅の狭さについて語ることになってしまうのだ。」
⇒「競争的市場」を前提としているが、現実と乖離している。
〈*〉「古典的競争という陳腐な考え方」=「経済社会に関するありきたりな教科書的イメージ」
⇕
≪1960年代以降のアメリカ経済社会の現実との不適合≫
「 ・・・・正統派経済学(=新古典派経済学)の古くからある自己防衛的な3段論法で処理しようとする人達についても同様である。この3段論法は・・・・そこに真理もある。・・・・しかし、それは完全な真理ではない。従って・・・・これを受け入れる必要はなく、科学の名においては受け入れるべきでもない。今まで道理の教義を信じ、それを教えていれば良いのだと、この3段論法を逃げ道に使う人たちはなかなか多いのである。」
☆新古典派経済学の理論の前提or仮定(公準)
<新古典派経済学は、経済を経済主体(生産者・消費者)の最適化行動と需給均衡の枠組みで捉え、市場メカニズムが機能すると効率的な資源配分が実現すると評価する>
<経済活動において、利己的で経済的自己利益(self-interest)を最大化(maximazation)しようとして、行動する合理的な人間
=経済人(economic man/homo ekonomics)モデル ⇐理論構築の為の単純化の産物 ⇔ 実際の人間の近似モデル
・財に関するすべての情報を経済主体が入手できるという「完全情報の仮定」
・取引にあたって必要な費用が一切かからないとする「取引費用ゼロの仮定」
⇒上記の2つの仮定を前提として「一物一価」の法則が成立する。
<市場(market)に影響を与える力を持たない経済人としての個人及び少人数の個人からなる小組織による取引
⇩
競争市場の作用(「見えざる手」 A. Smith ⇒後日創成されたもの)
⇩
需要と供給の均衡
《経済の最適状態の実現⦆
■アメリカ資本主義経済の現実の変化
伝統的個人企業(1840年代) 《伝統的アメリカ経済》
⇩ ⇒古典派・新古典派経済学の理論で説明できる現実
⇩
企業者的企業※ (1860年代)《金ぴか時代》
⇩ (1890年代)《企業者の時代》
⇩ ※競争に勝ち残った企業を結果として、「企業者的企業」と言う
ビッグビジネス ⇐新古典派経済学前提としていた(個人及び少人数の個人からなる小組織)とは、全く異なっている。
⇩ =市場の支配 ⇔ 新古典派経済学では「市場への適応(順応)」
⇩ ⇒自由競争の概念では市場に適応するしかない
近代株式会社
⇩ (A. A. Berle Jr/G. C. Means)
⇩
巨大法人企業 (巨大株式会社)
(J. K. Galbraith)
経済人モデル ⇐━<矛盾>━━⇒ 企業者の慈善活動
(経済的動機;利益の獲得・利潤の最大化 ≠ (企業者の動機)
競争的市場 ⇐━<矛盾>━━⇒ 企業者的企業の独占による市場支配
(この部分は、上智大学 ソフィア・コミュニティ・カレッジでの
小林順治先生の2013年秋「企業支配の変遷」の講座内容より作成)
「制度派経済学」 (institutional economics)
・Thorstein Veblen (1857~1929)
主著「有閑階級の理論」 (The Theory of the Leisure Class ~ An Economics Study of Institutions 1899年)
※金ピカ時代 (Gilded Age)の富豪たちの生活様式を皮肉的に批判している。
・誇示的消費 (Conspicuous Consumption) ・誇示手子機余暇 (Conspicuous Leisure)
・金銭的競争 (Pecuniary Emulation) ・代行消費 (Vicarious Consumption)
主著「企業の論理」 (The theory of Business Enterprise 1904年)
※近代の資本主義体制」を二分して捉えている。
営利企業(business)は、産業を推進せずに、むしろ産業を侵食していくと批判
①物を作る産業(工業) <Industry>
②金儲けの手段としての営利 <business>
・John Kenneth Galbraith (1908~2006)
代表的な著書 ・「大暴落1929」(The Great Crash 1929) 1954年
・「ゆたかな社会」(The Affluent Society) 1958年
・「新しい産業国家」(The New Industrial State)1967年
・「軍産体制論~いかにして軍部を抑えるか~」(How to Control Military) 1969年
・「経済学と公共目的」(Economic and Public Purpose) 1973年
(上智大学 ソフィア・コミュニティ・カレッジでの
小林順治先生の2013年春「現代企業の特質」の講座内容より作成)